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寄り添うとはいかに [社会]

ここ数年とても気になっていることがある。寄り添うという言葉の多用である。10年以上も前にさかのぼると今日ほど使われていなかったような印象があるし、前世紀においてはほとんど用語として使われていないように記憶している。

被災者の気持ちに寄り添って・・・とか、社会的弱者に寄り添った政策の推進を・・・とか、そういった文脈で使われることが多い。要は、弱者に対して思いやりの心をもって接するということなのだろうが、「寄り添う」という用語からはどうしても、「添う」という、肉体的にもたれかかるような印象をうける。そのため、寄り添うという言葉を聞くたびに気持ち悪く思うのは私だけだろうか?。

さらにいうと、今日では何でもかんでも「寄り添う」といえば許される風潮があるような気がする。そして、発言している側も、とりあえず寄り添っておけばいいだろうといった安易な使用が目立つように感じるのである。となるとどうなるか。「寄り添います!!」と声高に叫んだ瞬間が最後、その人は実際にはまったく寄り添っていないのである。後ろめたいから「寄り添う」という用語を安易に使うのではないか?。真の意味で「寄り添う」というのは実は本当に大変な所業のはずなのだから。例えば、認知症の妻の介護で何十年と老老介護を淡々と続けた夫は真の意味で「寄り添った」といえよう。私としては、寄り添うというのはそういう意味なのであって、軽いノリで出てくる単語では決してないのである。

影響はさらに続く。例えば、子供たちに将来なりたい職業を聞いて、「患者さんに寄り添った看護師になりたいです」というのを聞くのも珍しくなくなった。いった本人に悪気はないことは確かだが、言葉の安易な誤用がここまで進行したのかと、暗澹たる気持ちになるのである。

あえて言おう、安易に寄り添うなと。口先で寄り添ったところで、それは単なる「忖度」でしかない。

では何といえばいいのか?。「・・・の気持ちを推し量り、その方の気持ちを害さないように適切に対処いたします」というのも変だし、してみると今世紀の新語としての「寄り添う」はまさにいいえて妙である。
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