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カジノ反対へ団結を [政治経済]

千葉市長がIR誘致を断念したとのこと。その理由が、災害の復旧などを優先させたいので日程的にも間に合わないとかなんとか言っていました。これではまるで、災害がなければ推進したかったかのようにも受け取れるので好感は持てませんが、そこはスルーしましょう。カジノはそもそも人間性の堕落だから反対なんだ(!)と言ってほしいところではありました。

ところで、カジノ反対にはパチンコには何で何も言わないの?という論点ずらしがみられます。パチンコはあまりにも長くてどす黒い歴史があるので、パチンコを絡めると議論が重層化して複雑化してしまうのです。カジノ反対の人の中には、一定数のパチンコ擁護論者が確かにいるかもしれません。ただおそらくは、大多数のカジノ反対の人はパチンコを含めた賭博に反対していると思われ、ブログ主もこの立場をとっています。

今回は千葉の件ですが、何と立地は幕張新都心を計画していたとのことで、それを聞いた瞬間にその計画はあり得ないと思いました。

なぜかって、幕張にはすでに「幕張メッセ」があるからです。そして、幕張メッセといえば、東京国際フォーラム・パシフィコ横浜・京都国際会館と並び、国内で大規模な国際学会が開催できる大会議場なのです。徒歩圏内には映画館やショッピングモールもあり(多少歩きますが)、飲食店は多数です。ホテルもありますが、やや客室数不足なのがたまに傷のエリアといえるでしょう。仮にIRを建設するとして、幕張メッセ以上の巨大なハコモノをつくるということなのでしょうか?、それとも、幕張メッセを増築してIRにするとか・・・。詳細は不明ですが、壮大なムダであることには変わりはありません。

日本にはシンガポールのようなIRがなく、国際的な会議が開けないというウソがまかり通っています。実際にはこれはフェイクニュースで、上記の4か所はじめ会議場はたくさんあります。何と、岐阜市のような中都市にもあります。国際会議に来日する人たちが、「日本はカジノがないので不満だなー」と言っている人たちはおそらくほとんどいません。もし本当に大規模な施設がないというのであれば、上記4か所を増改築すればいいだけのことで、特に京都なんかは老朽化しているし、土地的にもできそうな印象はあります。

何度でもいいますが、日本でも国際会議は開けるし、施設は十分にあります。統合型にするのであれば、せいぜいホテルを建てればよく、遊戯施設が必要なら、下層階にゲーセンでも入れておけばいいでしょう。国際会議に来る人たちは会議にくるのであって、博打をうちに来るのではないのです。

そして、不幸にも政府のいうところのカジノ付きIRができたと仮定します。巨大な施設で国際会議も開けるのですが、なに分巨大すぎるので、会議場の稼働率が上がりません。会議が非開催の時期はせいぜい中国人のツアー客がホテルに宿泊する程度で、カジノは閑古鳥が鳴いています・・・。なんてことは目に見えているのです。

今回の汚職事件でカジノそのものを見直すべきですが、政府は強引にでも作りたいようです。しかし、そもそも不要なものを作ったところで、負の遺産になることはやる前から分かり切ったことなのです。横浜市長のリコールもありそうですし、今後も注目です。
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北海道IR誘致撤退に寄す [社会]

北海道が苫小牧に検討していたIRの誘致を断念したとのニュース。

東京五輪のマラソン競技の札幌移転は、カジノ誘致とバーターだったという某週刊誌の記事は全くのでたらめだったということになるだろうか?。その記事によると、マラソン移転の見返りとして北海道にカジノをということだったのだが。

今回の選択は極めて賢明である。当ブログでも再三指摘しているように、カジノに反対するのは賭博が精神の廃退であって、人間性の堕落だからという点に尽きるのであって、ギャンブル依存症が云々という立場はとっていない。

ともあれ、そもそも北海道、しかも苫小牧にIRが必要だろうか?。IRの本体はカジノではない(というのは推進派の目くらましかもしれないが)。国際会議場や美術館、展示場、ホテルなどを組み合わせた巨大施設というのがIRの骨子である。ここでいう国際会議場とは、大ホールでいえば6000席級のものを指す。そもそも日本は国際的に会場が不足している(と推進派は根拠にしているが)ので、国際級の施設を作ろうというのが推進派の建前上の理屈であった。実際には日本でも国際会議や展示は開かれているので、施設が不足しているという前提には当ブログは賛同しかねるわけだが、もし仮にそうだったとして、建設場所は苫小牧だろうか?。苫小牧にような中途半端な都市で、国際的な会議が開かれるとはどうしても考えられないし、建設しても稼働率が悪いことは目に見えている。こんなところでカジノを開業しても客はおらずに早晩潰れること必至(それ自体はいいことだが)。仮に北海道にIR作るとしても、採算的に可能なのは札幌一択であろう。

というのも、先日某地方都市(人口15万人程度)の某ハコモノ施設でプロのオーケストラによる公演があるので行ってきたのだが、何と観客が300人程度しかいなかったのだ(定員は1600)。おそらく東京でやれば満席は必至の公演だったであろうが、現在の都市格差はそれほど凄まじいものがある。この例にみるように、苫小牧で国際会議場を作っても、それが連日盛況の運営をされる可能性は皆無であろう。ましてやカジノである。人口にしめる博徒の割合は低い(と信じたい)はずで、苫小牧周辺に博徒が多いというのは聞いたことはない。仮に苫小牧に決まっても、採算性のないカジノ事業に手を挙げる事業者はないだろう(ないのはいいことだが)。

IR・カジノ関連のニュースはいろいろとツッコミどころ満載で、なんでも賛成すると得票率が下がるので首長も賛成しにくいのだとか(大阪は例外)。だとしたらとんでもないことで、民意を蹂躙するにもほどがあるといいたい。IR建設には住民投票は必須と考えます。
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マラソンは花形競技らしい [社会]

東京五輪のマラソン・競歩の札幌移転が急転直下で決定したが、今回の件は何かとツッコミどころが多いのは皆さんも感じられている通りではないでしょうか?。

選手ファーストを隠れ蓑にしたスポンサーファースト体質。
蓋を開けてみたら札幌のほうが暑いこともありえる。
ドバイの酷暑を見て急遽決定したことになっているが、ドバイは丁度いい口実だった。
実は札幌・北海道とは事前に根回し済みの可能性がある。
パラリンピックマラソンは東京ということだが、選手ファーストに矛盾。
パラアスリートは死んでもいいの?。要はパラリンピックはテレビでも人気がないだけかも。
マラソン以外の屋外競技は東京のまま。
費用負担の問題
北方領土の問題(やぶれかぶれだが、ロシアは何も言わないところを見ると・・・)
実は東京でもいいが、早朝開催だとアメリカのゴールデン時間帯にならない。
(→もし札幌が早朝開催ならその線は消滅するが、多分そうはならないのでは)
世界最大の都市東京の長をないがしろにした傲慢
凋落した国家ニッポンはなすすべなしという体たらく。
いくら何でも移転下以上表彰式も札幌でやるってもんだろう。
と思ったら、コースすらまだ決定していないという・・・。

思いついたまま列挙しただけでも上記の通りです。来年の天気の正確な予測などできるはずもなく、ふたを開けてみれば曇り~小雨のマラソン日和になる可能性だって十分あります。体調不良の選手は棄権すればいいだけなのに、何をびくびくしているのでしょうか?。東京の早朝5時開催でみんなが幸せなはずでした・・・。おそらくはスポンサーやアメリカテレビ局、IOCの偉い人たちを除いて・・・ということでしょう!!。

大体、マラソンがオリンピックの花形だなんて私を含めて多くの人は思っていないのではないでしょうか?。大体長いし、アフリカ勢が勝つだろうから、日本も欧米もそれほど興味ないって人は多いような気がします。陸上・卓球・バド・水泳・体操・柔道・レスリングなどのほうが観戦するにはちょうどいいと思いますし、そもそもすべての競技が花形なので、マラソンが別格という感じはないですし、競歩はなおさらです。
決定事項によればまだまだ酷暑の東京でパラリンピックのマラソンは実施される模様なので、障碍者は死んでもいいとでも思っているのでしょう。これが所詮金満体質のIOCというものです。決定権はIOCにあるので仕方ない面もありますが、小池知事にはもっと頑張ってもらいたかったというのはありますね。

蛇足ながら、コース設定とかどうするんでしょうか?。北海道はもう冬のようですが・・・。今更東京に戻すとかないでしょうから、その場合は中止でもいいように思います。大体選手が危険っていうなら、実施しなければ解決するでしょう。オリンピックは見所がたくさんあるので、マラソンくらいなくなってもいいと思いますよ。

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プラスチックは焼却を [社会]

最近のニュースから、福島県の南相馬のゴミ処理施設で、行き場を失ったプラスチックごみが散乱したり腐臭をまき散らしているというのがあった。

背景として、中国へのゴミの輸出が禁止されたことから、搬入される資源としてのプラごみを処理できなくなったということらしい。

果たして、うずたかく積みあがって周囲に腐臭をまき散らす「資源」としてのゴミは、本当に再利用・リサイクルできるのであろうか?。それが技術的に可能であったとして、どの程度の量が可能なのだろうか、そして、リサイクルは本当に環境にいいのだろうか?。

以前も指摘したように、プラスチックやペットボトルを中国などに輸出しているのは、それがビジネスとして成立しているからである。先進国が途上国にゴミを「押し付けて」いるわけではないし、そもそもそんなことはできるわけがない。ただしかし、例えば中古テレビを新興国に輸出した際には、最終的には新興国で使い古して壊れたらそこでゴミになるので、そういった側面があることは否めないところではある。一方、プラスチックなどはそもそもが「ゴミ」であるから(まさかリサイクルなんてできると思っていないですよね)、向こうが喜んで買ってくれるのであればどうぞというだけの話だったのに、頭でっかちの国際会議なんかで話がややこしくなったわけ。で、中国がゴミを買ってまで欲しがるのは、多分工場や発電所の燃料にするため、いわゆるサーマルリサイクルですね。ただリサイクルといっても、ただのプラスチックごみを燃料を消費してまで輸送・運搬するわけだから、国内で処理する以上に無駄なエネルギーを消費していることも確かです。

ではどうすればいいか、国内でじゃんじゃん燃やしましょうっていうことです。プラスチックは科学的には炭化水素なので、二酸化炭素と水しか出さないので基本的には燃やしても無毒ですし、リサイクルや海外輸送よりもはるかに環境にやさしく、ついでに発電まですれば一石二鳥です。

温暖化?。でも、どうやってもプラスチックごみを処理するには二酸化炭素を出しますよ。まさか海洋投棄のほうがいいってわけでもないですよね??。


なかなか正しい方向に物事が進まないというのが「オトナの」事情です。今住んでいる自治体は「燃えるゴミ」と「プラスチック」を分けていますが、プラスチックを燃やさないなんて、環境に悪すぎます(多分最終的には燃やしているのでしょうが)。みんなはルールを守っているようですが、個人のささやかな抵抗として、全部燃えるゴミで出しているっていうのが、ささやかなエコ活動ですかね。。。
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石炭火力発電は悪か? [社会]

あまりにもマスコミが推すので名前を憶えてしまいましたよ、グレタ・トゥーンベリさん。スウェーデンの環境活動家?らしいです。若いっていいなー。私にも同じように考えている頃がありましたよ。ちょうど1980年代頃ですか、地球温暖化なんかが話題になってきたころです。地球を守ろう!っていうのはもちろん大事なことなので、プラスチックの分別だとか、いろいろやっていました。物事の本質とか、現実世界との整合性を考えずに表面上の善悪で考えていましたね、若いころは。最近になってティッシュペーパーの取り出し口のプラが無くなったりしていますが、そんなものは地球環境に実は微塵も影響しないんです(どうせ燃やすので)。でも昔の自分ならティシュの取り出し口のプラを引きはがしてプラごみに、ボックスは資源ごみにしていたなー(今ははがさずにたたんで燃えるゴミに)。どうせ全部最終的に燃やしているっていうのもあるけど、実際にはリサイクルするほうが却ってエネルギーを消費するので環境に悪いし、リサイクルって実は技術的にも不可能だったりするんですね。紙のリサイクル偽装で問題になった日本製紙の例もありました。かといって、大量消費社会を容認しているわけでもないんです。一人一人にできることは、人生は楽しみながら、極端すぎないぜいたくはしつつ、可能な限りエネルギー消費を減らす努力をするくらいなのではないかと思うのです。人間の経済活動はどうしてもCO2を排出しますから、それをなくすなら電車も飛行機も全部運休、車も規制、みんな自宅にこもって家庭菜園の野菜を食べろってことでしょう。そんなのいくら何でも無理じゃないですか!。グレタ氏も自身の活動が結構な量のCO2を出すことをご存じないのでしょうか?それとも知らないふりなのか、さらに、CO2増加だけが地球温暖化の原因ではないかもしれないのです。この辺は冷静な議論が必要ですね。
 さて、石炭火力発電所です。最近は石炭というだけでヒステリックに「石炭やめろー」という人がいます。確かに石炭はCO2排出も多いし、発電効率もあまり高くないです。それに比べれば、天然ガスのほうが優等生であることは確かでしょう。石油はその中間くらいですが、コストが高いのでどのみち衰退は間違いないところです。石炭の魅力は比較的安価であることでしょう。発電効率は悪かったのが、最近では向上しているみたいですし、排ガスも昔ほどではなく、真っ黒い煙を排出しているわけではありません。
 火力発電以外の方法はどうでしょう?。原子力発電ははっきり言って終わっています。核のゴミの問題が解決しない限り、永続性はありません。水力発電は素晴らしいですが、これからの時代の新設は難しいでしょう。太陽光や風力は頑張ってもせいぜい数%にしかならないでしょうし、発電効率・コストは最悪,本当に環境にいいかも怪しいです。地熱発電は素晴らしい方法ですが、立地が限られるのと、せいぜい国内の数%程度にしかならないでしょう。となると火力で、日本は火力を主電源にせざるを得ず、その燃料は天然ガスと石炭しかありません(一部に石油とバイオマス)。エネルギー安全保障の観点からも、石炭の即時廃止はあり得ませんし、技術力や環境性能を高めながら石炭発電を維持するのは必要なことではないでしょうか?。
 地球環境を守るのは当然のことです。火力発電特に石炭火力は地球環境に悪いです。だからといって、石炭を止めろというのは論理の飛躍です。今夏の例をみるまでもなく、電気がなければ人間は簡単に死んでしまいます。それでいいはずはありません。原始時代に帰れば地球環境が仮に守られるとして、皆さん賛成でしょうか?。そもそも議論の前提は本当に正しいのでしょうか?。
 また、現在存在する石炭火力を廃止する場合には、同様の出力の発電所を増設する必要がありますが、当然CO2を排出します。まだ使える発電所は使い続けるのが一番エコです。また、石炭火力を新設するといっても、それは最先端の技術のものであれば、従来の石炭火力よりも優秀です。技術を継承していくためには、石炭の比率を減らす努力はしつつも、決してゼロにはしないことも必要なのではないでしょうか?。なお、日本が石炭やめると連鎖的にオーストラリアが破綻するかもしれないです。

 こう書いてみると、トランプは環境問題に関しては割とマトモなんだと思います。ただ、国際的には本音を語らないのがこの世界の暗黙の了解であったので、それには反しています。環境問題というのは、対策をすればするほど却って環境が悪くなる性質のものだと私は思っています。現状維持で日本はなにも困っていないのですから、原発実質ゼロ、火力メイン、+アルファ(自然エネルギー)はほどほどでいいのではないでしょうか。

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言論の自由がさらに危機的に [社会]

皆さん ひさしぶりです。

週刊ポストなどという3流週刊誌はどうでもいいような気はしますが、最近見出しが韓国に対して敵意むき出しのヘイトではないかということで問題となり、謝罪までしてしまったようです。大見出しは「韓国なんていらない」、小見出しで、「韓国人の10人に1人は治療が必要な精神障害がある」といった内容でした。

各方面からの批判があり謝罪してしまったようですが、謝罪したということは誤りを認めたということです。その割にはその雑誌は販売禁止でもなんでもなくて、普通に売っていました。財布のひもが固い私ですら一冊購入したくらいですから、今回の騒動が販売促進にはなったかもしれませんが、もちろんそんなことが目的ではないはずです。内容に関しては、多少行き過ぎた表現はありましたが、記事の内容自体は比較的抑制的なもので、さほど目新しくはありませんでした。韓国人の10人に1人は精神障害があるような記事の内容は、ある研究者の研究内容を紹介したに過ぎないものでした。内容の是非や真贋については議論のあるところだと思いますが、逆に考えれば9割の韓国人はまともだとも読めます。

この手の韓国批判記事は三流週刊誌ではこれまでさんざん報じられてきたので鉄板ネタで、今回の記事が特に目新しいわけではありません。もっとひどい記事なんていくらでもありました。読んで判断するのはあくまでも読者です。そして、いずれの記事も「一線を越えたヘイト」的内容とまではいえませんでした。「死ね・殺せ・日本から出ていけ」といった主張なら問題ですが、そこまではいっていません。つまり、謝罪する必要は全くないのです。

この構造は靖国参拝問題や慰安婦問題に類似しています。今までは何も言っていなかったのに、突然外交カードにされてしまいました。日本のことが憎くて憎くて、何とか懲らしめたいけれども何かいい方策はないかというときに、日本を突っ込むネタを創出するわけです。そして、今まではこの程度の記事が出ても何も言わなかったのに、急に謝れということになったのだと思います。そうしてみますと、最近の日韓関係悪化の解決の糸口がないことに対する親韓派の焦りを感じます。

新潮45の休刊、そして今回の謝罪を見てみると、言論の自由が近年において危機的状況にあることがわかります。一部の人たちにとって都合の悪い記事は「差別的だ、ヘイトだ」とされる風潮があります。しかし、真に内容を子細に検討したうえで、「一線を越えた、看過できないほどの」憎悪表現は果たして本当にあったのでしょうか?。その過程も経ずに、簡単に謝罪したり休刊したりする出版社にも問題はあります。このままでは、きわどい問題については議論する場がなくなってしまい、差別される側の利権がさらに増長しかねません。さらに、日韓関係についてディベートする報道番組のコメンテーターまで差別的だとされているようです。もうこれでは、韓国に対する批判はしてはいけないかのようです。韓国って、そんなに素晴らしい国ですか?。

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フードロスと廃プラ問題

最近になってフードロスや廃プラ問題がよく取り扱われるようになった。環境のことを考えるようになったのはとてもいい傾向だと思う。しかしながら、本質的なところに議論が深まることはなく、企業はアリバイ作りのような小手先の対策しかしていない。本気でこれらの問題に取り組むのであれば、相当の覚悟が必要だし、景気や失業率にも影響する可能性はあると思う。

フードロスに関しては、「家庭内でのロスが多い」とか、「消費者一人一人の意識を変える必要がある」とかいわれるが、これは責任転嫁である。実際、私は一人暮らしだが、フードロスは限りなくゼロに近く、せいぜい野菜の皮、中には生ごみとフードロスを同一に論じる人もいて注意を要する。買ったものを食べずに捨てている人というのはそんなにいるのだろうか?。また、買ったものを食べきれなくても仕方のないことではないだろうか?。それよりも、コンビニなどで売れ残った弁当の廃棄量のほうが圧倒的に多いのではないか?。この問題はすでに何度も論じた通り、需要(国民の必要カロリー)<<<生産量が問題なので、流通する商品を抑制するのが一番の解決である。今よりも売り切れが続出し、目当ての商品がない日は仕方なくカップ麺で済ませるようにするのだ。別に死ぬわけではない。ただしこうなると、関連産業で働く人たちが失業するかもしれない。

廃プラ問題についていえば、レジ袋をターゲットにすることで、大元であるプラスチック大量消費を目立たないように虚飾しているといえる。レジ袋の削減で年間○○億枚の・・・というのは感情に訴えるが、全てのプラ消費量の0.1%にも満たないのではないか?。クジラの胃の中のプラスチック汚染は確かに観るものの心を打つ。本気で削減したいのであれば、レジ袋だけではなくてすべてのプラ製品・産業を縮小すべきだが、そんなことは可能だろうか?。そして、代替となる製品は本当に環境にいいだろうか?。

バーゼル条約でプラごみ輸出が規制されるそうだ。なんでも日本は中国にゴミをおしつけているのだとか?。果たして、日本が国力では及ばない中国様にゴミを押し付けることなどできるのだろうか?。事実はその逆で、中国は日本から買ってでもプラごみを輸入したいというだけのことだ。何に使うかは知らない。再生されるのかもしれないし、発電所の燃料にするだけかもしれない。スウェーデンでも同様である。

ここにまさにヒントがある。プラを再生しようと無駄な努力をするから迷路にはまったのだ。プラごみを熱源として有効に利用することと、飛び散ったプラごみを有効に回収する方法を模索するべきだ。実際、街中でも飛び散ったプラごみを拾う人はほぼいない。そのプラごみは意図的にポイ捨てされたものかもしれないし、ごみ箱が風でひっくり返ってしまったのかもしれない。しかし、そういったゴミが風で流されて海を漂うわけだから、陸地で回収するのがベストだ。確かにその作業は汚いので、やりたいものではないが、ちなみに私は微力ながら拾うことはある。しかしこれは囚人でも使用しないと
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社会の分断が進んでいる [社会]

社会が成熟すれば、差別はなくなってみんなが幸せになる時代が来るなどというのは、思い込みの域をでないものであった。また、時間がたつほどに社会が成熟するとは限らず、むしろ退行することもあるのだという確信を持っている。

例を挙げれば、男女差別は確かに半世紀前と比べたら格段に改善したかもしれないものの、現代においてはむしろ男性への逆差別となる事例が横行しており、分断は深まっている。女性専用車両などという代物は痴漢抑止にはならず、一方的に男性を犯罪予備軍にしている点で大いに問題であると思うし、差別のない時代であれば「○○専用」などという発想自体がないはずである。

LGBTについても、ずっと以前からそういう人たちがいたことは知られていた。さすがに一昔前の欧米のように、同性愛を犯罪行為として処罰するようなことはなくなったし、性的指向(指向と嗜好に関する面倒臭い議論は置いておく)は自由だ。ちなみに、ある調査ではLGBTの中ではBが最も多く、Bは両性愛・二刀流だからなにも困っていないしむしろ幸福なのではないかとも思うのだが、LG(B)Tに関してはそもそも日本は寛容(というか無関心?)であったと思う。ただ、同性愛を気持ち悪いとか、トランスジェンダーをそんな人がいるはずがないとか、そう思うのも本来自由であったはずだ。しかし、現代においては、公的にそういった発言をするとヘイトスピーチとされたり、役職を追われたりしかねない。内心の自由まで制限されかねない世の中はいかにも窮屈である。もちろん、差別的な言動が許されないのは確かだが、「同性愛は気持ち悪い」とか、「LGBTに税金を使うな」という発言は許されないほど差別的だろうか?。その辺の議論がされない(封殺?)ところに問題があると思うし、新潮45の休刊は残念であった。

話はそれるが、私が今までさんざん論じてきた司法・警察の堕落は目に余るものがある。ある日突然善良な市民が一方的に犯罪者に仕立て上げられる恐怖。証拠がなくても推認だけで有罪にしてしまう司法。真実は二の次で、有罪判決を勝ち取れば出世できる検察・裁判官のシステム。多くの冤罪事件を調べると、「どうも 検察も 裁判官も 被告人が 無実であることを わかっていて 有罪判決を だしている」ような事例が散見される。自己保身のためだろう。引き下がれなくなったのだろう。社会正義のために情熱をもって東大法学部に入学したころの自分を思い出してほしい。

世界的にも国内的にも、分断は進んでいる。差別は減ってきていると思うが、差別がなくなると困る人たち(同和・部落・沖縄・自称アイヌ)が大声でわめきたてるので、ありもしない差別がほじくりだされて社会の分断を助長している。自然科学や文明は進化しているし、便利な世の中にはなったが、司法の世界では魔女狩りのような中世の様相を呈している。優れた人物は当局にマークされて刑務所に放り込まれたりする(ホリエモン)。大臣の失言が問題となっているが、上げ足を取るばかりで空転する国会。この国は(世界も)一体どうなってしまったのだろう。西暦2500年頃に、(その時代でも多くの問題は解決していないと思うが)今の時代はどう形容されているだろうか?。今我々の生きている世界は、成熟しているようでいて、まだまだ過渡期であると思うし、人間社会が真に成熟することはないのかもしれない。
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数学のススメ [個人的なこと]

昨年から少しずつ講談社ブルーバックスの「新しい高校数学の教科書」(上下)を読み進め、おおよそのアウトラインを復習し、ユーチューバーらによる数学入試問題解説動画などを閲覧、そして今は月刊誌「大学への数学」を読んだり、青チャートを始めています。今のところ大学再受験の予定もないですし、数学者になったり大学レベルまで掘り下げようというつもりもありませんが、もしかするとその域も目指せるかもしれません。入試と違って時間に余裕があり、その分だらけますがじっくり取り組めます。

果たしてこの活動にどれだけの意味があるのかはわかりません。確かに、高等な数学は日常生活生きていく上で知らなくても全然困りません。三角関数や微分積分、極限・数列・複素数平面など、理工系では必須ですが、研究者でもない限りは全然使いません。大学入試を終えて大学の基礎教養科目で数学にサヨナラをしてはや20年、使わない知識は完全にさび付いており、二次方程式の判別式D=b2-4acすら忘れていたところから今思うのは、まさに人類の英知の結晶が今の便利な世の中を作ってきたのであって、生きている間にできるだけ理解しておくべきではないかということ。役立つかどうかよりも、知ること自体に意味があるのだと。ましてや、世界的な学者ですらごくわずかしか新規の知見を積み重ねることしかできないのです。それだって勿論ものすごいことなんですが・・・。

残念なことに、田舎で育った自分は数学でいい教師にあたりませんでした。みんな教科書の棒読みをして、練習問題の答え合わせをするだけなのです。そのせいにしてはいけないのはわかってはいるのですが、そうはいっても、私立の進学校や予備校には数学の真の魅力の伝道師たる先生もいるらしいのです。いい教師との出会いが人生を変えることってあるそうですから、私は数学の道には進まなかったのです(仮にであっていても素養がないので進まないとは思うが)。

もう一つの動機として、入試問題が一部難しすぎるというのがありました。楽すぎると差がつかないとはいえ、難しすぎたり、解法に天才的は発想が必要な問題とか、立体図形が複雑すぎて制限時間内に解けないようなやつとか、こんなもので合否を決定されてはたまりません。でも、文句を言っても仕方がないし、実はそれほど難しくなかったのではないか?とか、実際のところどうなのかを知りたくなったのです。私は浪人していないので、現役で駆け足で最後のほうは消化不良のまま受験に突入してしまったので、達成感を感じずに終わってしまったのでした。その穴埋めという感覚ですね。

数学以外にも、物理・化学・世界史・日本史なども復習していますが、入試を控えているわけではないのでなかなかはかどりません。いままでソファーで寝ながら読書をしていたのですが、どうやら本格的に学習机でカリカリやる時間も必要だと思い始めました。勉強する習慣って、なかなかつけるのが大変なんだと思いました。

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私案 教育改革

都会と地方の格差は、文化や交通・産業もそうであるが、ことに教育において甚だしい。中学入試で家庭崩壊などというネット記事があったが、地方都市においては受験するような中学はないことが多い。あったとしても、都会では名門の開成・桜蔭・筑波大付属駒場に匹敵するような中学は存在しない。できる子は公立中から公立トップ校に進学するのが通常のコースである。意外にも、首都圏以外は大抵そんな感じで、地方都市にもラサール・愛光などのすごいところはあるが、その地方の成績上位層を全員取り入れているわけではない。

端的にいえば、地方では中高一貫私立に行くという選択肢はほぼ存在しない(一部の例外除く)。私立中高一貫の授業が極めて優れているという前提で話をすすめると、そういった高度な学習を享受することがそもそもできないのである。したがって、いわゆる文科省の学習指導要綱に沿った授業をチンタラ受けさせられるわけであるが、これがまた成績上位層の伸びる芽を摘んでいるのではないかという指摘は昔からある。山を削って谷を埋めることになるのである。時にはいくら埋めても埋まらない谷もまた存在するにも関わらずである。

例えば英語についていえば、中一で現在形・中二で過去形・中三で過去分詞とか、こんな鈍牛のようなことをしている。極論すれば、半年で学習できるくらいの内容を3年に引き伸ばしているのである。受験業界では、公立は英語が弱く、公立高校に入ってからでは後れを取り戻せないという説がある。当たっていないことはないが、後半はウソで、実際にこの私が高校の一年間で一気に全国トップ層まで学力を伸ばすことができたという事例もある。しかし、田舎の子全員にといえばさすがに無理だ。そもそも田舎は空気感が違っていて、塾に行っている子でも(私は行ったことがないが)、せいぜいが中学の教科書の先取り学習で校内テスト上位狙いだったりするらしい。目標が低すぎるのだ。

そんな田舎の子供たちをしり目に都会の上位層は有名塾に通って大学受験(つまり東大)をターゲットに学習している。適うわけがないのだ。尤も、そもそもその過熱する受験業界でバーンアウトしてしまう子供も結構いるらしい。その子は田舎のほうが向いていたかもしれない。

一方、田舎では情報が不足しており(ネット用語で情弱という)、公立のカビの生えたような授業を受けさせられ、東大に行くといえば進路指導に「君には無理だ」などと言われる。結果、何とか一年遅れで東大に行けたとする。その彼は、東京に住んでいれば開成から東大に現役で行けたはずだ。一年の差は結構大きい。

たとえ話と想像上の話になってしまったが、
① 田舎で優秀な子が公立に行って伸び悩んでいる。
② 都会でそれほど優秀でないのに無理に私立に行ってついていけない。
①②のような子がいたとして、それぞれに学力予後・学歴予後が悪くなるのが問題だ。アンバランスなのである。かといって、①の子と②の子をチェンジするわけにはいかない。どうすればいいか、私の中での答えは簡単で、学習指導要領を改定して、もっとどんどん詰め込み教育を推進すべきだというのが案である。英語についていえば、現在中学の3年間でやっている内容は半分の1.5年でできるはずであるし、数学ももう少しカリキュラムを工夫してすべての高校で高3の夏休みまでには数Ⅲ(微積分)まで終わらせることは可能だ。そして、複素数平面と行列など、指導要領に入れたり外したりというのを止めるべき(なぜなら重要でない分野などないのだから)。理科社会も合計6科目はみっちり基礎教養としてやるべきであって、高校での文理分けもやめるべきである。そうはいっても、大学全入時代なので、すべての科目で公立でも高3の夏休みまでに授業は終了し、以後受験に向けた演習に時間を割けるようにすれば、公立でも学歴予後が悪くなることは避けられるだろうし、実際にそのようにしている学校もあると聞く。

しかし実現が厳しく、中学と高校の接続が悪いのがすべての諸悪の根源だと思う。公立だと、中学で超スローペースなのが、高校で急激にハイペースにならざるを得ず、そこでドロップアウトや消化不良を起こす子がいる。また、公立名門校に入れた満足感で急に勉強しなくなる子もいるのが問題だ。すべての学校を中高一貫にするか、そこまでしなくても中高一貫のカリキュラム並みにするべきだろう。思い切って633制を止めて534制にするのも考えてもいいかもしれない。国民の大多数が通っている公立中高の超スローペース授業による知識の空洞化を何としても改善することで、すべての受験生に真の意味で平等にチャンスがくるのではないか、そんな時代にしてほしい。

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