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新潮45休刊に寄す [社会]

休刊が決まった前後だろうか、新潮45を立ち読み、もしくは購入するために本屋に行くも、置いていなかった。売り切れか販売自粛か(もしくは取り扱っていない)だが、おそらく前者であったろう。すでにプレミア価格になっているが、そもそもが超3流週刊誌である週刊新潮を出している出版社なのだから、ここは開き直ってとことん議論を深めてほしかったものだ。

今回の問題点は、何をもって「許されがたい」差別とするかという点だ。ある人の論考を読んで傷つく人がいるからよくないというのであれば、そもそもほとんどの出版物を発禁にしなければならなくなってしまう。例えば、週刊金曜日というかなり極左の出版物があるが、内容はあまりにも反日ヘイトスピーチのオンパレードで読むに堪えない(もちろん購入は絶対にしない)。これを立ち読みした私や多くの保守の人たちは、間違いなく傷ついているはずだが、このトンデモ雑誌に対しての抗議の声は表立っては出てこない。世の中には思想のベクトルが極端に反対方向にぶれている領域というのがあって(政治にしてもLGBTにしても日本の戦争責任にしても)、それを議論するのは結構なことだし、議論の昇華から世界が開けてくるということがある。普通の感覚では、多少ともおかしな論考の雑誌があってもそれはそれとしてスルーするものであろう。したがって、今回の休刊騒ぎの黒幕に何らかのイデオロギー的な活動があったという風に予想されるのである。

話が脱線したが、LGBTについて否定的な意見を言うだけのことが現在では許されない差別になっているようだが、果たしてこれは一般の感覚として妥当なのだろうか?。今回の論考が、例えば「○○人は死ね!!」みたいなヘイトスピーチとは明らかに違うものであるのは明らかである。おそらくは、LGBTの権利拡大という結論が決まっているので、何としても議論を避けたいという表れではないのか?。であるとすると、まさに新時代の恐るべき全体主義とはいえないだろうか?。

ところで、もし仮に同性婚を認める、LGBT用のトイレを作る、差別をなくす、その他色んな施策を講じたとして、LGBTの「いきずらさ」がなくなるだろうか?。制度を作ることでなくなるという人もいるが、おそらくなくならないだろうし、それはやはり異性愛といういわゆるノーマルとの偏倚に内面的に感じる個人的感情に起因する部分がある以上、世界が平らになることはないだろう。

LGBT問題(そもそもそのうちのBの人は困っていないので外すべきだとする意見もある)はそういった個々人の内面を扱う領域であるし、制度ありきで拙速に議論すべき問題ではないだろう。しかし、そういった意見は差別的なので排除されてしまうのだ。世の中がこうだから、なかなか反対意見が言いにくい風潮がある。だからこそ、紙媒体が重要なのだ。この議論の続きを、月間Hanadaでもいいし正論でもWILLでもいいがやってくれないものだろうか?。LGBTがはれ物になってしまったので、しばらくは無理かもしれない。
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伊閣蝶

新潮社としては、これを機に赤字垂れ流しの総合雑誌「新潮45」を廃刊にしただけのことではないかと思います。
そして社としては、「もうこの問題には関わりたくない」という意思を示したのでしょう。
言論媒体として最悪最低な対応であったと思います。

by 伊閣蝶 (2018-10-02 23:00) 

ムース

伊閣蝶さま、コメントありがとうございます。

どうなんでしょうね。廃刊にするためにあえて炎上したとは考えにくいとおもいますけどね。部数が伸び悩みとかは、言い訳に過ぎないと思いますよ。実際、今までもずっとリベラルとは一線を画した特殊な言論空間で一定のニーズがあったわけですから。どのきじのどの部分がどのように問題だったのかをきちんと議論しないと、話題に挙げただけで差別主義だという社会の変な風潮を黙認したことになってしまいますから、それが心配です
by ムース (2018-10-17 17:29)