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イエス再考 [音楽]

イエス、イギリスのロックバンドである。

プログレッシブロックの代表的バンドで、キングクリムゾンやELP、ジェネシスと並んで有名である。

殊に、私の中ではほとんど唯一無二の存在で、キングクリムゾンやジェネシスにしたって、イエスとの関連で聴いているに過ぎない。つまり、最初にイエスありきなのだ。イエスとの出会いは、アルバム「こわれもの」収録の「燃える朝焼け」に遡る。この楽曲は、映画「バッファロー66」に使われていることでとみに有名であるが、恐ろしく完成度の高いinstrumentalな部分と象徴的であいまいな歌詞が濃密な10分の楽曲である。この楽曲はドラミングが特に印象的で、ビル・ブラフォードの天才性が最大限に発揮されている。ブラフォードは早くに脱退したのだが、移籍先のキングクリムゾンからジョン・ウェットンのファンになり、エイジアにもつながっていくのだ。この曲がイエスの曲だと知ったことから、私がイエスにはまっていくことになったのである。今から20年近く前のことだ。

ロック界はメンバーの入れ替わりが多いので、ついつい話が脱線してしまう。ジョン・ウェットンはイエスとは直接関係がないが、エイジアのベーシスト兼ボーカルである。ウェットンのボーカルは声が太いので、イエスのジョン・アンダーソンとは対極的ともいえる。イエスのベーシストはクリス・スクワイアであり、一度も脱退しなかったスクワイアのベースはイエスになくてはならない要素である。

しかし、ウェットンもスクワイアも何年か前に鬼籍に入られてしまった。合掌。

そんなイエスのアルバムを最近聴き直している。イエスとは何かという問いに答えるのは難しい。イエスとは、ジョン・アンダーソンである、という人もいるだろう。しかし私にとっては違う。もしそうだとすると、ジョンのいないイエス作品「ドラマ」はイエスではないということになるが、お聞きいただければわかるように、「ドラマ」はイエス以外の何物でもない。では、イエスとは、クリス・スクワイアなのか、スティーブ・ハウなのか、アラン・ホワイトなのか?。確かに、スクワイアのグイグイ行くベースや、ハウの天才技巧的なギターの調べを聞くと、「ああ、これこそイエスだ!」と思うわけだが、代替が利くかどうかを論じるのは野暮というものだろう。スクワイアがイエスに残り、ABWH(anderson,bruford,wakeman,howe)というイエスの傍流バンドが一時的に存在したことがある。この時ベーシストは代役(トニー・レビン)で立てたわけだが、ABWHの紡ぎだすサウンドはイエス以外の何物でもなかったのである。もちろん、イエスにスクワイアが不要だったわけでは毛頭ない。

イエスの世界観は、特定のメンバーの存在とは必ずしも必須としない。しかしその世界観の塊・マスというものは概念として存在していて、時に欠員があるものの、その中核には必ずアンダーソン、ハウ、ホワイト、スクワイアがいた。時にブラフォード、ウェイクマン、ダウンズ、トレバー・ホーンがいたということである。つまり、上位中枢がイエスという概念的存在であり、精神的支柱とされることの多いアンダーソンですら、その一構成員にすぎないのである。

数あるイエス作品の中で、私が一番好きなのが実は「ドラマ」なのである。この作品にはアンダーソンがいないもののスクワイア・ハウ・ホワイトの3人は健在で、バグルスの2人が加わったことで、テクノポップ風味の加わったプログレという独特のサウンドを紡ぎだしている。「Into The Lens」が私の中のイエスベスト作品である。何度聞いてもいい!!。

勿論これは個人の意見に過ぎず、一般的には「危機」「サードアルバム」あたりが絶頂であったし、コア層であれば「究極」「海洋地形学の物語」「リレイヤー」を挙げるであろうし、へそ曲がりだと「トーマト」や「ドラマ」を挙げるのだろう。勿論私もそれらすべての作品が好きであるが、敢えて「ドラマ」を推すのは、前出3人のアンサンブルが本作で極致に達したことや、テクノサウンドとの一時的融合によりプログレの新たな可能性を見出した点が大きい。アンダーソンがいなくても、イエスという上位概念はメンバー交代で保たれたのである。
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