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映画「ばるぼら」私的考察 [映画]

ばるぼらを観てきました。映画館が初めて行くところで、片道70kmもかけてですよ!。

手塚治虫原作の漫画「ばるぼら」は何回も読み返した作品であり、この作品がどのように料理されるのかが気になっていました。原作は手塚作品にあって、異色といえば異色ですが、中庸の容量で読みやすく、メッセージ性も明瞭で、キャラクターが立っているため、僕の中ではとても好きな作品です。

結果は、やや残念なものでした。

たしかに、ばるぼらの世界観は良く表現できています。主演二人に加え、共演陣の人選も完璧で、ダークな作風(撮影:ドイル)もよかったのですが・・・。

問題点はいくつかありますが、まず第一に原作の解釈変更に尽きると思います。原作の「ばるぼら」は、一応は実在するキャラクターとして描かれていましたが、本作では「ばるぼら」自身を妄想の産物に落とし込もうとしているように見えました。なぜなら、主人公の美倉洋介(演・稲垣吾郎)としか肉体的に絡まないように描いているからです。主人公のアパートに客人が来た時も、ばるぼらはキッチンに隠れて酒を飲んでいる設定です。原作では、主人公以外の人物とばるぼらが取っ組み合いのケンカをするシーンがあるのです。ばるぼらとの挙式に警察が押し入って週刊誌にスクープされるのですが、見出しは「大麻所持」だけです。原作では、全裸の乱交パーティーを激写されているわけです。つまり、映画版では、結婚式のシーンすらも美倉の妄想に無理やり落とし込んだ印象です。また、原作では結婚式の立会人の筒井という人物がいる(つまり、ばるぼらも実体としてみている)のに、映画版ではいません。こういった解釈変更により、映画版は理解しにくくなっています。

第二に、場面説明の不足です。ばるぼらは途中でまるで昆虫が脱皮するように、フーテンから「女」に脱皮して美倉に襲い掛かります。その通り描かれているのですが、映画版ではあまりに突飛すぎます。漫画版では、いきなり女になったといったような文章が挿入されていますので、この解説は必要でしょう。

説明の不足で決定的なのは、ラストの山荘のシーンです。ばるぼらは心肺停止ながら肉体はそのまんまという状態になっています。原作では、美倉はこの山荘に閉じ込められ、食料もなくやせ細った状態になり、ばるぼらを食べようとする(がそんなことはできない)。そんな中頭がさえわたって小説「ばるぼら」の執筆にとりかかるわけですが、ナレーションによる説明が皆無だし、稲垣さん全然痩せてこないので、何が何だか分かりません。

ついでにいえば、本来ばるぼらは「ミューズ」なので、一緒にいることにより美倉の作品がヒットするわけですが(原作では小説「狼は鎖もてつなげ」が大ヒット)、映画版ではカットされてしまい、ばるぼらの存在意義がわかりません。

藁人形の下りですが、原作では気が狂った美倉が自分で自分の藁人形をつくり、それを発見して妻(甲斐ひなこ 映画版では結婚せず)に詰め寄るという設定なのですが、映画版ではこの藁人形は一回しか出てきません。よって、意味が不明になっています。

ムネーモシュネーを渡辺えりが演じたのはGood(というか他に適任者がいなさそうだが)でしたが、出番が少なすぎ。そして、ムネーモシュネーの部屋にあった絵画が実は本物の骨董品であるというくだりは完全にカットされています。出番も少ないですし、これではモシュネーがただの太ったBBAになってしまいました。

とまあ、原作に詳しいだけにツッコミどころは満載なのですが、いい点はやっぱりばるぼら役の二階堂ふみがとてもエロチックな裸体で、これを見るだけでも細かいことはどうでもよくなるというか(ただのエロス??)、そういう映画でした。

苦言を呈しますが、細かい設定も含めて原作をすべて忠実に再現すべきでした。時間の制限があるのはわかりますが、本作は100分です。もう少し長尺になっても、すべてを描き切ることはできたと思います。というわけで、映画版だけではばるぼらの世界を理解できませんので、まずは映画を見た皆さんは、ぜひ原作を読んでほしいなーと思います。
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