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思想統制の時代に生きる [社会]

山本議員の発言が問題になっている。あまり失言議員を擁護するつもりはないが、この国はパーティーの席で冗談すら言えないのだろうかと思う。

かといって、アメリカの新大統領トランプ氏の数々の発言であるが、これが日本国内の基準であれば、彼は問題発言のたびに謝罪しなければならなくなるし、大統領選挙にでることもできないだろう。彼の差別的発言や暴言の数々に賛同するわけではないが、仮にも差別的と思われる内容であったとしても、本来は言論の自由は保障されなければならない。その意味で、現代にあって彼のような存在が痛快であることは確かだ。

これにくらべれば、大阪府の機動隊の「土人」発言をめぐる騒動は、いちいちニュースにするような内容では本来ありえない。そもそも、大阪府職員に対して暴言を引き出すような挑発を行い、わざわざそれを撮影録画するという周到ぶりであり、沖縄の一般市民ではないことは確かだ。差別的意図は別として、「☆×$@*>=▽・・・」と言いたくなる気持ちもわかる。

少し古いが、作家の百田氏「沖縄の二紙はつぶれたほうがいい・・・」発言にしても、本来オフレコの場の発言をわざわざ壁に耳をつけてまで聞き取って報道するありさま。本来いちいち取り上げるような内容ではないが、沖縄二紙のトップ記事にするほどの過剰反応ぶりには笑わされる。これこそ、ペンの暴力と言わずしてなんなのだろうか?。沖縄の二紙はあまりにも左寄りであり、危険な新聞であると思っている人は多いと思う。そう思うこと自体が思想信条の自由であって、それは本来憲法で保障されているものだ。

いわゆる社会的弱者とされている集団は、実は弱者でもなんでもなく、それをネタに利権を生み出している構造があり、いびつである。在日とか同和とか、沖縄市民(いわゆる一般市民ではない、反日活動家の連中)などがそれである。

そしてLGBTである。今日、LGBTの人たちを悪しざまに言うと、差別だということでバッシングされてしまうため、だれも何も言えない状況になってしまっており、きわめて異常である。私はLGBTの人たちを差別する意図はないが、権利を拡大すべきだとか、社会的理解を促進すべきだとかは思わない。13%とかいわれるLGBT人口であるが、この数字の根拠があいまいであるし、どのような調査で出てきたのか不明だ。肉体と精神の性が一致しない場合に、仮にそれが本当だとしてもそんなに苦しいことなのだろうか?。理解が足りないといわれるかもしれないが、理解するつもりはない。それはまた一致しない異性に対する差別にあたるのではないか?。例えば、体が男性で心が女性の人は、全人口の半分を占める男性に対する差別意識を持っているのではないか?。医療財政がひっ迫するなか、こういった「気の迷い」である可能性の高い性同一性障害に対する性転換手術の保険適応など、決して認めてはならないのではないだろうか?。

LGBTの人たちを語るときに、その13%(怪しい数字だが)という多めの数字に驚くべきではない。その中には、違和感がありながらも与えられた性を生きている普通の人たちもいるだろうし、深く悩んでいるひとからそれほどでもないひともいるだろうし、見た目も普通の人から、単なる変態の人まで様々だろう。それらをいっしょくたに語るから混乱するのだと思う。偏見を持ってはいけないというが、偏見を持たれるような十分な根拠のある人々である。

偏見をなくし、差別を排するべきだという主張はわかる。しかし、ここでいう偏見差別が決していわれなきものではないことから、各人がどう思うかは自由であって、どう発言しようと自由なのだ。しかし、発言するとヘイトスピーチとされ、撤回を要求されてしまうことがある。ここに言語空間の閉鎖性があるのであって、これでは戦前に逆戻りなのではないか。
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