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速報で流すようなことか [社会]

オミクロン株(疑)の死亡者が出たというニュース速報が昨日の報道ステーションで流れたが・・・

速報で流すようなことだろうか?。

その人は静岡県内の人で、コロナで死亡したが、基礎疾患もあり、基礎疾患の増悪による死亡(+コロナ)の可能性もあるという。検査でデルタ株でないことが判明したので、オミクロン株かもしれないとのことである(←いまここ)。つまり、オミクロンと判明したわけではないが、現状の流行から考えてその可能性が高く、国内でのオミクロン死亡第一例である(可能性が高い)という点でニュースバリューがあるということなのかもしれないが・・・。

死亡した人にあまりにも失礼なのではないか?。

そもそもオミクロンは軽症ウイルスと分かってきている。それでも、死亡例はゼロではなく、海外では死亡例も報告されているはずだ。国内でオミクロンの死亡が出ること(いや、もうすでにいるのかもしれない)は時間の問題であって、第一号がでるのは当たり前のことだ。ニュースで流すのは結構だが、速報ではない。

今世紀に入って、速報のクオリティの低さは何とも嘆かわしいことだ。特に顕著なのがNHKで、4年に一度の世界的体育会のメダルが出るたびにニュース速報を出している。確かにめでたいことだが、速報で流すようなものではない。こういった報道姿勢がメダル至上主義を生み、スポーツ精神を歪めていると思うのは私だけだろうか?。だったら、「◎◎、メダル逃す!!」も速報にしないとダブルスタンダードだ。

そして、差別差別と何かと昨今はうるさいので、パラリンピックのメダルまで速報するに至った。私はなにも障害者スポーツを悪しざまにいうつもりはないが、障碍者というカテゴリー(つまり参加者は世界的にもとても少ない)でメダルをとるのはオリンピックとくらべて比較的容易なのであって、一般に名のあまり知られていない選手がメダルをとったことに速報性は全くない。でもオリンピックでは速報なので、パラリンピックでも速報にしないと差別になるという建前がそこにはあるのだろう。

ニュース速報は、本当に今知るべきことを流すべきで、あとでいい内容(NOT NOW!!)は流すべきではない。よって、自然災害や交通情報(新幹線止まるなど)、極端に凶悪な犯罪の発生(先般の放火事件など)くらい。訃報で流すとすれば、あまりにも畏れ多いレベルの人くらい。

テレビ局はもう少し考えた方がいい。
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投資はじめてみて [社会]

結局のところ、投資なるものをすべきかそうでないのかという永遠の問題があった。

仮に10億円くらいの現金を持っていたら、投資をする必要自体がない。生きている間にぎりぎり使い切れないくらいの金額だからだ。しかし仮にそれでも人は投資するのだろう。人間の欲望にはきりがない。前沢さんのように宇宙旅行に行きたいと思えば(私は行きたいとは思わないが・・・というよりも怖い)10億円ではとても足りないのだ。

私についていえば、お金には全く困っていないので、全額普通預金に塩漬けしていた。見方によってはこれもまた資産運用といえなくもない。ただし、今の金利では年間の利子は外食一回分にすら届かない。資産が全く目減りしていないという強みはあるが。

でいろいろな本やサイトで投資関連の情報を集め、お金の先生のほとんどの方は投資をするなとは一言も言っていないということに気付いた。一部荻原博子さんみたいに投資に否定的な論者はいるものの、投資について勉強するとその意見にはまったく賛同できなかった。他方、お金の先生方は「絶対に」儲かるとか、リスクが「ゼロだ」とか、そのようなことは全く言わない。仮に第二のリーマンや第二のコロナが起これば、投資した資産が激減することはあり得る。その場合には、普通預金の方がよかったということは理論上はあり得るのだろう。そのうえで、それでも世界経済は成長を続けてきたし(←いまここ)、今後も続けるであろうということであった。

私はふるさと納税やイデコなどの確実にお得な制度やポイ活を使ってきた。それでも、金融資産の全額普通預金ではそれ以上のリターンはない。いろいろな情報を総合勘案したうえで、まずはNISA、しかも一般NISAから始めてみることにした。仮にNISAで5年間で600万円つぎ込んでも、それは私の金融資産のごく一部でしかない。半分は遊び感覚ではじめてみたというところなのだ。

これが若い人だったらまだ貯蓄が少ないだろうから、若くして投資をするというのは、今の日本の金融教育ではさすがに厳しいのかもしれない。しかし、再三指摘されているとおり、複利効果というのは投資機関が長ければ長いほど効果が大きいので、若いうちから可能な範囲で始めるべきだというのはその通りなのだろう。

・・・で、一週間、とりあえずバランス型、全世界、株式、インデックスといった比較的低リスクの投資信託を30万ほど購入したが、現時点で約5000円の含み益となっている。まだ一週間ではあるが、たった一週間で1.6%も増えているので、確かに普通預金ではありえない現象が起こっていることは確かだ。とはいえ、価格は変動するので、今後一時的にはマイナスになったりすることはあり得るのだろうが、過去の運用成績を見れば右肩上がり。価格が上がり続けている以上、「下がったら買おう」というアクション自体ができないので、やるなら「今でしょ!!」ということになる。とはいえ、コロナ関係で世界経済も不安定なので、今後株価が暴落する(つまり投信の価格も下がる)ことはありえるので、下がった時に多めに購入することでより資産を増やすことができるだろう。なるほど、初めて見ると確かに面白い。

ということで、普通預金残高は相当分確保したうえで、投信を中心とした安定的な運用をメインに、イデコ、NISAをしている(←いまここ)自分であるが、そのうちに本格的にその他の投資をしていくことになるのか、まずは勉強しなければなるまい。
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起きるべくして起きた事件 [社会]

愛知県の中学校で起きた同級生刺殺事件。

根底にいじめがあったということで、ヤフコメには加害者擁護の意見が溢れている。どうにも情に流されやすい人々のようだ。でも確かに、そういう事情があればそう思うのも無理はない。私もいじめ被害の経験があるから、過去に殺してやりたいと思った人は何人かいる。というか、殺したい人がいないという人も逆に珍しいのではないか?。あとは実際に行動に移すかどうかだが、大抵の場合はそこまで追い詰められていないので実行には移さない。今回の同情票はおそらく、相当根深いものを本事件に予想してのことなのであろう。

過去の記事にも書いたことがあるが、社会全体でいじめをなくすべく、より本格的な取り組みをすれば、本件のような悲劇はいくらか予防できるのだ。その場合、子どもは無垢などという脳内花畑状態に陥ることはなく、基本的には性悪説に基づいて検討する必要がある。なぜなら、学校(特に公立)というのは、たまたまその地域に住んでいる同年齢の住人を無理やり詰め込んだだけの組織であるため、人間トラブルが起こらないはずがないからである。

そのうえで、目に余る犯罪行為級のいじめ(いじめという用法上の問題はここでは措いておこう)があった場合に、成人並みの刑罰のシステムに置かれるべきであるということ。ここでは、現状の日本の警察組織が民事不介入だ何だと役立たずであることはとりあえず置いておく。

いじめの被害があった場合の相談窓口として、教師・親・友人だけでは不十分なことが多く、特に教師は加害者に加担する場合すらあり得る。よって、学校に弁護士を常駐させ、法的視点からの助言を受けられるようにすべきだ。ことに、昨今は弁護士が大量に余っているらしく、そうなると質の担保の問題も出てこようが、国家や自治体の予算から学校常駐弁護士の費用を捻出するとよいだろう。弁護士の雇用改善にもなって一石二鳥だ。質の問題は一旦置いておく。

さらに、護身の術が包丁というのはいくら何でも物騒過ぎる。いじめ認定の折には、加害者に対して裁判所から接近禁止命令を出すなどの対処も考え得る。体育の授業などもできるだけ近づかないような配慮をするのだ(私は学校の体育自体が不要だと思っているが)。そのうえで、一般的な護身具である電流装置や催涙ガスやブザーなどの携行を可とするのである。お金に余裕のある子息であれば、専任のボディーガードを連れて登校するのもありで、実際には海外では事例があるという。

いくら何でも過剰な対応だろうか?。とはいえ、上記に掲げた対策の一つ一つは、被害生徒に対してどれだけ保護的に作用するだろうか。そして上記に掲げた策のどれ一つとっても、実際にこの国でなされたという話を聞いたことがあるか?いやない(反語)。

いじめをなくすという言葉だけが軽々しく流れ、実際には何の対策もしてこなかった。だから今回の悲劇については、むべなるかなと思ってしまったのだ。
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祝大谷MVP あえて一言 [社会]

大谷がアメリカンリーグMVPを取った。二刀流という百年に一度レベルの偉業ということでもちろん異論はないし、仮に私が投票者でも大谷に票を投じたと思う。ただしこれは、すでにNPBでは実証されていたことであって、MLBでも再確認できたということだ。

今回のMVP選出過程に敢えて苦言を呈するとすれば、「空気バイアス」が半端なかったということだ。

大谷がMVPを取ることはもうシーズン後半から明らかになっていて、打率が低いのがやや気になるとはいえ、投打にわたる活躍とその人間性も含め、当確だったのだ。

それがいつの間にか、「満票かどうか」が議論されはじめた。あたかも満票でなかったら悪いことであるかのように。

そして、「俺ならゲレーロを推す」という人物に対してあからさまな攻撃がなされるようになった。「お前は野球を分かっていない」だとか、「いいか、これは100年に一度の偉業なんだぜ。ゲレーロはせいぜい10年に1人くらいじゃないか」みたいな論調で。

そうなってくると、大谷以外に一位票を入れにくくなってしまう。仮に一票でも一位票が入らなかった場合に、その投票者にインタビューが殺到する事態が予想された。もちろん、「打撃成績ではゲレーロが上だからゲレーロに入れた」という釈明をすればいいだけなのだが、その釈明が通用しない雰囲気がすでに出来上がっていた。そうなると、投票者の記者生命が絶たれる可能性もでてくる。誰がそのような危険を冒してまで大谷以外に一位票をいれることができるだろうか。今回の選考過程でそういった空気バイアスがかかっていたことは否定できないと思う。

大谷に一位票を入れないやつイコール、野球のことを分かっていないやつだということ。

勿論、そういう意見があること自体は問題ない。しかしながら、そうでない意見を全く認めないかというのとは別問題だと私は思う。

実際、シーズン後半は大谷対ゲレーロで五分五分だが投手成績を含めて大谷有利といった程度だった。その流れで行けば、大谷は7-8割の票を獲得してMVPになると私は予想していたのだ。

それが蓋を開けてみれば10割。うれしいけれども、そういった選考課程があるように思えてならず、何となくモヤモヤ感が残るのは私だけだろうか??。

ただ、仮に空気に流されて本意ではなく大谷に投票した人物がいたとして、「ま、大谷でいいか」と思わせる高い人間性があったからこそだとは思うので、普段の立ち居振る舞いというのは大事だということは強く感じる。

あと、記名投票がいいか無記名がいいかに関しても、記名投票だと空気バイアスに抗しがたいというデメリットがあることが分かったと思う。

個人的感覚だが、大谷がせめてもう少し打率を上げて本塁打50本であれば満票でよいが、今期の成績だったら票が少しくらい割れた方が良かったように思う。また、満票であるかどうかでMVPの価値が毀損される訳でもないということも言っておきたい。

いろいろ書き連ねてきたが、実はバイアス自体がなかったかもしれない。私の脳内妄想かもしれないし、それは分からないことだ。だから、大谷選手おめでとうであるし、ゲレーロ選手も大変あっぱれだったのだ。
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ご心配をおかけして? [社会]

リニアのトンネル工事でついに死者が出てしまった。そのJR東海の会見で、コピペ調の謝罪文が読み上げられた。

「・・・ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

一応検索かけてみると、日本語的には問題はないとのこと。ただしかし、ご心配をおかけしてという文面では、反省・謝罪のニュアンスが薄れてしまうような気がするのは私だけではあるまい。

トンネル工事で事故があった、死者が出た。その遺族・関係者のことを想うと心が痛むわけだが、このように心配するかどうかは視聴者の勝手なのである。ほとんどの人は自分たちに無関係だから心配しないかもしれないし、もし自分の家族だったらと思うと心が痛む人もいるだろう。ここで、仮にそのニュースに接して心が痛んだ人がいるとして、その人が心を痛めたのは通常の心理反応に過ぎず、それに対して謝罪するのはまったく筋が違うということなのだ。

事故を起こさなければニュースが流れることもなく、上記の人物がニュースに接して心を痛めることはなかった。だから申し訳ないという風になってくると、謝罪をしている上層部の人間はまるで自分たちには何の非もなく、勝手に現場で事故を起こしやがってケシカランと、そういう風にしか私には見えないのである。

では、「心配をおかけして申し訳ない」という文面はどういう場合に有効なのだろう。

たとえば、人気スターが事故で入院して回復したときの会見ではありえるだろう。自分を心配してくれたファンに対して。つまり、自分は他人から心配されるほどの大物だから、このセリフが通用するのだ。ともすると傲慢・不遜に聞こえる可能性もあるので、小物が発するべきではないかもしれない。

ここでJR東海の場合はどうだろう。世界的大企業である。利用者も多い。確かに心配する人も多いのかもしれない。しかし個人と企業は根本的に異なる。利用者あってこその企業なのであって、企業が自らのことを「ひとさまから心配される資質をもつ大企業だーー」などとはあまり表立って言わない方がいい。ましてや人が1人死んでいるのである。死んだ人に対して心配するのはある意味素晴らしい人間性であって、その人間性に対して謝るとはこれ如何に?と感じるのである。ついでにいえば、謝ったところで死者が生き返るわけではない。だから、「心配をかけて申し訳ない」という趣旨の謝罪を言われると、この企業は現場の社員をトカゲのしっぽとしか見ていないんだなーと感じてしまうのだ。

心配というのであれば、「ご心配をしてくださりありがとうございます」というのであれば分からなくもない。心配とはそういうものだ。心配する人に対して、心配するネタを作ってしまって申し訳ないというのはどう考えてもおかしい。

いや、日本語的には心配とはそういう意味ではないですと言われる御仁もおられようが、私のように感じるひとはおそらく結構多いだろうから、より言葉の選択に気を付けてほしいということを言っているのです。

こういった事故が起きたときには、まずは亡くなられた方へのお悔やみを述べ、そのうえで、「多大なるご迷惑をかけた」ことを謝るべきである。関係者以外の人の心配とかはまったく別の話なのだ。
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気が付くと無くなっていくもの ベープマット [社会]

皆さんは蚊取り機器として何を使っているだろう?。

アースノーマットという商品があるが、「ノー」「マット」とはなにかというと、すでにマットではないというのが始まり。マットではないから優れていますよという意味が込められているのだろう。ノーマットよりも前は、マットが主流だったのだ。

それでは、マットはそんなに優れていない商品なのだろうか?。という疑問がふと湧いてくる。

ちなみに、昔ながらの渦巻き式の蚊取り線香は今でも結構売れている。何せ効果が抜群であるし、原始的でなかなか風流である。その後にマット式が開発され、少なくとも前世紀までは結構なシェアを誇っていた。蚊取り線香と違い、電気で熱を利用するだけなので、火災のリスクがなくなっただけでなく、直に煙を吸い込むよりは芳香がソフトであるという特徴があった。その分殺傷能力が劣る印象があるマット式であるが、効果はすでに立証されている。実際に蚊がいる場面でマットを炊くとその後いつの間にか蚊がいなくなっているので、おそらく効果はあるのだろう。

そのマット型の蚊取り機器で一番有名なのがフマキラーのベープマットであるが、現在ではマットは辛うじて売っているが本体はアマゾンでしか購入できなくなっている。ちなみに一枚当たり約30円前後である。本体を買えない以上、シェアが再拡大する可能性はほぼ皆無であり、先述の粉洗剤以上にマット自体がこの世から消滅する可能性は今後あり得るだろうが・・・。

何より不思議なのは、マットよりも劣った点も多い渦巻き式の古典的な蚊取り線香はしっかり売れていることである。これはおそらく、渦巻き式製品があまりにもレトロ・クラシックで不滅だからだろう。また、電源が不要なため、アウトドアでも使いやすい。一方のマット式は屋内限定であり、ノーマットやらその他の製品の普及によって駆逐されてしまったのだ。

今の製品は、「置くだけ30日」みたいなものが多いが、マット式の効果は一マットあたり半日程度である。それが欠点かというと必ずしもそうではなくて、普段は滅多に蚊がいないが、ふとある日紛れ込んだ時などに一日だけ使用するような場面では好適である。また、子供部屋だとか寝室とか、限られたスペースで威力を発揮するし、火を使わないのも利点である。マットにもマットの良さがあるのだ。

とはいえ、時代の流れなのは仕方がない。でも、今後無くなるにしては大変惜しい商品なのだ。いつかまた再興の日を願いつつ、私はマットを使い続けている。
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気が付くと無くなっていくもの 粉洗剤 [社会]

先日、珍しく某店で「トップ」の粉バージョンを発見したので、ついうれしくなって購入してしまった。

現在、多くの量販店で洗濯用粉洗剤は「アタック」と「ニュービーズ」が辛うじて売っていることはあるが、「トップ」と「ボールド」と「アリエール」を見かけることはほとんどない。売り場にもスペースの都合があるし、現在は液体洗剤とジェルボールが主体なので、減っていくことは仕方ないことなのかもしれない。

それにしても、クルマのCDプレーヤなどと同様、それまで当たり前にあったものが当たり前でなくなるというのは、恐怖ではある。

粉のメリットは何か。まず第一に洗浄力については粉の方が高いとする見解が多く、実際そうなのだろう。性能がいいものなのに淘汰されていくのは、ある意味音楽CDを取り巻く状況に似ていなくもない。

第二に、タイマー使用時には液体は使いにくいという点である。最近の洗濯機ならいいのかもしれないが、旧来式の縦型洗濯機の場合、洗う衣類と洗剤を予め放り込んでおくわけだが、液体洗剤だとそれが一部の衣類に強力に浸透してしまうことになる。よって、タイマー使用時は粉を使うというひともいるのではないか?。

第三に、誤嚥の問題。乳幼児の誤嚥についていえば液体も粉末もジェルボールもすべて等しくリスクはあるが、粉末であれば不味くてすぐに吐き出すので吸収されにくいメリットはあるかもしれない。このカテゴリーで一番危険なのはジェルボールである。

ちなみに、スペースについてはどの剤型でもそれなりにコンパクトであるので、理由にはならない。

液体の方が売れている理由については、液体の方が粉末にくらべて洗剤の残りが少なく、すすぎが少なく済むという可能性はあるかもしれない。また、企業の側としても粉末の生産ラインを縮小して液体系に移行することでコストカットができる。それゆえ、液体のメリットを過度に強調して消費者を誘導しているのかもしれない。消費者は消費者で、はっきりいってどっちでもいいという人がほとんどだろうから、売り場が液体だらけになれば液体を買うだけのことなのかもしれない。

実際にこの私もここ数年は液体洗剤を使っている。別にどっちでもいいと思っていたのだ。

しかし、気になって調べてみたところ、粉末には粉末の良さがあったのだ。ことに、洗浄力という一丁目一番地では粉末の方が優れているとなれば、本来であれば粉末一択といったところだ。しかも粉末洗剤の容器は紙製であり、液体洗剤よりもエコではないか!!。

となると、従来判官びいきである自分の血が騒ぐ。これからは再び粉末洗剤を買い続けることで、消費者の意思を示そうではないか。
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意外と遅れていた東京 [社会]

東京都立高校の男女別定員が廃止に向けて動き出したようだ。

そもそも都立高校の男女別定員があったこと自体が驚きだが、さらに驚きなのは、都民がこの状況に慣れきってしまっていることだ。ゆえに、あるコメント欄で東京が遅れているといったところ、反対のポチが多かった。

私の知り得る限り、普通科の高校で男女別定員を設けている道府県は存在しない。かつて青森県の青森高校が男女別定員(男性が多い)があったが、かなり前に廃止になったという情報はある。

多くの道府県では男女別定員はないが、入学生の男女比は極端に偏ることはないようだ。トップ校では男子が多くなり、それでも7割程度、中堅上位では女子が多くなり6割といったところだろうか。

男女別定員の擁護派には、施設整備やロッカーの問題を挙げる人が必ずいるが、そんな細かい問題は他の道府県ではそもそもとっくに解決しているということを全く理解していない。体育教諭の問題は生じる可能性はあるものの、たとえば男性の多い学校では3クラス合同で授業をし、男性2女性1で組めば問題はないし、実際そうであった。ロッカールームも、男女同じ面積とし、少ない方が広々と使えるだけのことである。

東京は日本の最先端であり、また世界の最先端でもある。その東京で、国内で唯一公立高校の男女別定員が2021年の今も存在していたこと、これは皮肉なことだ。
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旭川市の事件に寄せて [社会]

いじめを苦に自殺・凍死された児のお悔やみを申し上げたい。

いじめというと、単なるからかいから重度の犯罪行為まで広く包括して適切な用語ではないという意見がある。

また、未成年だろうと何だろうと、徹底的に加害者を懲罰できるシステムが必要であるということは、私自身何度も主張してきたことである。

よって今回はそれらの件には触れない。

今回の事件は、世の中あまねく起こり得ることである。

この世の中には、口にするのもおぞましいが、本当にろくでもない、どうしようもない、卑劣で凶暴で犯罪傾向が強い人々が一定の割合で存在するのである。これは、小児人口においても同様であるし、都会でも地方でも変わりはない。なぜそういえるかというと、今回の加害者の10人はおそらくそれらのカテゴリーに該当することは明らかであるし、私自身の幼少時の経験からも、そういう人たちを数多く目撃してきたからである。これは差別発言にあたるだろうか、しかし、私自身、奴らと同じヒト属であるという感覚は全くない。外見や解剖学的特性は生物学的に同種であるが、全く別世界の人間である。そして、私自身そういう連中に付きまとわれた経験があり、かなりストレスフルな環境であった。そういう連中はえてして抜け目がなく、やたらと威張り散らし、周囲も巻き込まれる。今回の教職員の人たちの対応にはかなり問題があるが、彼らが完全に悪の世界に取り込まれるのは無理もないことだ。なぜなら、そういう連中は大人も顔負けなくらい狡猾にふるまうからである。

もっとも、私自身悩まされたのは小学時代で、その後はその地域の一応進学校の中学(ただの国立附属だが)から、その地域の伝統的な進学校の高校、高偏差値の大学、ホワイトな職種と進んできたので、周囲にろくでもない人たちはほとんどいない純粋培養的環境で育ってきた。ろくでもない連中は、たいていは学力が低いことが多いであろうから、その連中がそのごどのような進路を進んでいるのかは私には知る由もない。

今回の10人も、他校をまたぐ不良の集団だったと推察される。私も実際そういう噂を聞いたことがある。地元の公立中の、何中のナントカいうやつはヤバいらしいとか・・・。そういうのが群れると、一時世を騒がせた渋谷のチーマーとか、半ぐれ集団のようになり、一般人にも危害を及ぼしかねない極めて危険な外見を帯びてくるのだ。そういう連中を見かけたとか、噂に聞いたことのある人は多いのではないだろうか。

今回の10人の加害者がどういう人たちなのかは想像でしかないが、そういう恐い人たちである可能性はある。何せ、真夜中に同級生を呼びつけるというのは相当尋常ではない。これは本物の暴力団やヤクザよりも怖いかもしれない。年齢は無関係だし、むしろ未成年の方が、もともとない理性がさらにないわけだから、危険極まりないわけである。

そうなると、たまたま子供が進学した先にそういう危険種がいた場合に、どのように対処すればいいのだろうか。例えば、「このクラスにはライオンのお子さんもいるのですが、よろしいでしょうか?」と聞かれてイエスと答える親はいないだろうし、そのくらい危険な場所にこどもを預けるということについてはよくよく考えなければならない。

何度もいうが、この世の中には外見は同じ人間でも危険極まりない個体がまぎれもなく存在する。理想的にはそんな人たちは殺処分すべきであろうが、いくら何でも現実的ではない。武術を身に着けるとか、拳銃を身に着けるとか、最低限の護身ができるようにすること。そして、お金の余裕があれば、専属のボディーガードを付けるとか、考えうることはいくつかある。一番いいのは加害者を取り除くことなのだが。

そして、いじめ(および犯罪)は必ず起こるものとして対応すること。いじめが発覚したら教員の出世に響くというのはおかしいので、むしろ逆転の発想として、いじめを解決して加害児童を駆除したら教員が出世できるようにするなど、教員に問題に取り組むインセンティブを付けるべきであろう。
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民間病院を叩くのは間違い [社会]

コロナの医療ひっ迫

民間病院は公立公的病院に比して圧倒的に多いにもかかわらず、2割しかコロナに応需していないのでケシカランということらしい。

本当だろうか?

そう思って、民間病院とは何をさすのかを調べてみようと思ったが、資料はネット上にはほとんどみつからなかった。一部見つかったものを見ると、〇〇整形外科病院、医療法人渡辺病院などの、小規模な医療施設が散見された。要は、皆さんの近所にある小規模の病院で、単科の病院だったり、慢性期に特化した病院だったり、人員がほとんどいない(医師3名とか)の病院が数多く存在することが容易に想像される。

そんな病院で、コロナ患者を積極的に診ることができるだろうか。不可能である。せいぜい、入院患者がコロナになった場合にある程度中等症までのケアをする程度・・・ではないだろうか。

ましてや、整形外科病院・眼科病院・精神科病院などにコロナ患者を受け入れろというのだろうか?非常識にもほどがある。仮にそんなところに運ばれても、医者も患者も困ってしまうではないか!!

ただ、テレビのコメンテーターなんかは、民間病院が8000、受け入れはたったの2割という数字だけをみて、民間病院が受け入れれば解決するなどと言っている。その内訳を議論しているのを聞いたことはない。

勿論、民間病院でも公的性が強く大きな総合病院はコロナを診ている。当たり前だ。例えば、聖路加国際病院などはコロナ患者を診ているし、昭和大学病院も診ている。

いまや、公立・公的・民間で分けても意味がない。病院の規模・病床数・標榜科などで語らないと意味がないのである。

まずはそのデータが欲しいところだ。
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