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ごみの減量は必要か

最近地方ローカル新聞の記事に、「ゴミ有料化・ゴミ袋記名式でゴミ減量に成功!」といった記事が掲載された。なんでも、ごみ分別を徹底している自治体ほど、年間一人当たりのゴミが減っているのだという。一方で、ごみ袋記名式はプライバシーの問題もあり云々だとか。総じて、ごみが減るなんて何と素晴らしいことだろうという趣旨の記事だと思うのだが、ツッコミどころは多い。

そもそも、現代社会に生きる我々にとって、毎日発生するごみとの戦いは終わることはない。ゴミはどこから発生するかというと、経済産業からである。コンビニ弁当を食べるとゴミがでるし、自宅調理するにしても食品トレイなどのゴミがでる。これらのゴミをなくすには自給自足しかないが、現実的ではない。毎朝配布される新聞には読みもしない大量のチラシがそのままゴミとなるし、車通勤であればガソリンを買って、CO2を排出する。この排出ガスも広い意味ではゴミであろう。

とすると、ごみを根本的に減らすためには、自給自足の生活に移行し、経済活動を自粛するべきだということになる。発生源を減らすためには、企業にも相応の努力を強いるべきだが、あまりそういった話を聞くことはない。使い捨て容器を廃止せよ、菓子類の個包装はやめよ、二重包装(例えばレトルトカレーの外箱などの)はやめよ、肉は量り売りにせよ、新聞広告はすべてネット配信にせよ・・・という話はない。これらがもし実現すれば、ゴミの発生量が激減することは間違いないだろう。

つまり、ごみを有料化しようとゴミ袋を記名式にしようと、根本的にはごみの「発生量」が変わっていない以上、ごみ排出量が減るはずがないのだ。となると、家庭におけるインとアウトの関係が変化していると考えられないだろうか。つまり、気軽にゴミを捨てられないので、ついつい家庭にため込んでしまうとか、近所のゴミステーションには見張りがいるのでプライバシー的に捨てにくいゴミを、まとめて高速SAに捨てに行くとか、そういう事情はないだろうか?。

自治体にとってみれば、ごみが減るのは都合のいいことだ。その自治体の焼却炉の能力もあるだろうし、経費節減にはなる。しかし、見えないところではゴミは減っていないと予想されるのだ。社会全体ではへっていないだろうということは、発生源が減っていないことからも想像は容易である。

つまり、ごみ有料化・ゴミ袋記名式によってゴミが減るというのは、一種の「関連性の錯誤」である。結局のところ、市民に不便なことを強制することにより、「その自治体の処理すべき」ゴミが減ったに過ぎないのである。更に罪深いことに、その錯誤の関連性をもとに、ごみ有料化・ゴミ袋記名式はいいことだという趣意の新聞記事である。私が読んだ限りでは、その記事は自治体の施策に肯定的な論調であったのだ。

勿論、社会全体でゴミを減らしていこうというのはいいことだし、私個人的にもゴミを減らす努力はしている。食品はできるだけ食べきるし、生ごみはできるだけ乾燥させている。自治体のゴミ袋を買い(結構厚手で丈夫なので、ごみ袋の分ゴミは増えているはずだが??)ぎゅうぎゅう詰めで排出している(つまり大幅には減っていない)。せいぜいその辺までであろう。

そしてなによりもゴミは臭い。単身男性の私でさえそうなのだから、乳幼児のおむつとか女性の生理用品とか、そんなものは一刻も早く焼却場で処理すべきだろう。まさかとは思うが、激臭のなか開封調査をして「●丁目の●さんは分別していないなー」なんて自治体も世の中には存在するのだろう。これはまさに現代の恐怖以外の何物でもない。

(まとめ)
ゴミは経済活動によって発生し続けている以上、大きく減らすことはできない。かといって、発生以上に増えることもないであろう。出されたごみは可及的速やかに焼却等の処分をするべきだし、それは自治体の必須業務である。ゴミ出しのマナーは重要であるが、住民を圧迫するべきではない。開封調査などもってのほかである。ゴミはたかがゴミなのであって、時間の無駄である。
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