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パチンコは重要な産業なのか2 [社会]

パチンコをやたらと擁護する人たちがいます。ギャンブル・賭博は社会悪ではあるが、それが必要だという人がいます。もちろんそういうとらえ方も一つの見方ではあろうかと思うのです。

しかしながら、そもそもパチンコが世の中に存在することが正しいといえるのかどうかという点において、明確な回答があるでしょうか?。海外にはカジノがあるじゃないかという的外れなことをいう人がいますが、カジノのない国のほうが多いし、アメリカだって別にカジノがそこかしこにあるわけではなく、多くの国民はギャンブルなしの生活を送っているわけです。そう考えますと、ギャンブルというものはなければないで別に困らないということになります。

それを言いますと、だったら映画だって音楽だって、TDLだって旅館だって海外旅行だって、衣食住以外のものはなくても困らないということになるではないか、パチンコだけ目の敵にするのはおかしいという意見があります。このことがまさに現在のコロナ禍で文明的な生活が直面している一つのテーマです。我々が生きている意味はなんなのだという。

それに関して、先日のニュースで面白いインタビューがありました。越境してまでパチンコ屋の行列にならぶ某男性「ギャンブル中毒のやつもいるんで・・・これに命かけている奴もいるんで・・・。」いや、そこまで言われるのであれば、この方がパチンコをされることについてどうのこうの言うべきではありません。パチンコに関しては批判的立場ではありますが、現行一応合法的(脱法的というべきか)に存在するパチンコ屋に行くこと自体が犯罪ではないのですから。ただ逆に、そんな人たちに言いたいのは、君たちが例えばフランスやドイツでは生活できないのかということです。フランスやドイツにはパチンコはありません(一応未確認ですが)。フランス人やドイツ人は不幸せですか?。今あなたたちがはまっている遊戯(賭博ともいう)は、essentialなものですかと。

これと芸術や賭博以外の遊興施設やその他の産業を同一視する視点は私にはありません。私は音楽特に古典音楽を好むのですが、確かに一定期間なくても困りませんが、これらは私の人生を豊かにするものです。私はスポーツはよく見ますが、実をいうとサッカーはあまり好きではありません。サッカーが無くなってもあまり寂しくはありませんが、サッカーは世界的には人気のある競技なので、無くなるべきではないし無くならないでしょう。サッカーは多くの人々の人生を豊かにします。これらのことは、その他芸術や遊興施設や居酒屋やなんやら、この世のすべてにおいてそうです。

だったらパチンコだって同じだろう、パチンコはパチンカーの人生を豊かにするものであると。しかしながら、どうもそれだけはそう考えられないのです。私の心が狭いだけなのでしょうか?。

極端なことをいえば、違法ドラッグは人々を豊かにしますとか、特殊詐欺は人々(だます側)の人生を豊かにしますとか、いじめはいじめる人に快楽をもたらしますかとか、そういったことはどう考えても言えないわけです。

どうやらここに結論があったようです。パチンコというものを、その特殊性・グレー性を、歴史的経過等いろいろ考え合わせたうえで、社会における立ち位置をどのベクトルで捉えているかということです。私はパチンコを極めて邪悪な産業だと考えていますし、従ってパチ屋の従業員が失業しようとどうでもいいこと。それがすべて根源だったと思います。私のように考えている人は決して少なくはないと思いますが、かといって大多数でもなかったということなのでしょう。一部には熱狂的なパチンコファンがいて、世の中の大多数は私とその熱狂的ファンの中間程度の位置にパチンコをとらえていると思います。要するにどうでもいいということですね。

一つ分かったことは、私のセオリーは社会的には必ずしもそう考えられていないということでその点は認識不足だったことは反省してもいいかもしれない。ただ、いくら何をいわれようとも、私自身の考えには一ミリも揺るぎはありません。パチンコがこの世に存在するのは、特殊詐欺相当に絶対的な悪だという感覚です。結局相手もこの感覚に共鳴できなければ、議論はかみ合わないのはある意味必然なわけですね。一つ申し上げたいのは、今回の騒動を契機に、社会全体にパチンコの存在意義をもっと議論するべきだということであります。
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