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私案 教育改革

都会と地方の格差は、文化や交通・産業もそうであるが、ことに教育において甚だしい。中学入試で家庭崩壊などというネット記事があったが、地方都市においては受験するような中学はないことが多い。あったとしても、都会では名門の開成・桜蔭・筑波大付属駒場に匹敵するような中学は存在しない。できる子は公立中から公立トップ校に進学するのが通常のコースである。意外にも、首都圏以外は大抵そんな感じで、地方都市にもラサール・愛光などのすごいところはあるが、その地方の成績上位層を全員取り入れているわけではない。

端的にいえば、地方では中高一貫私立に行くという選択肢はほぼ存在しない(一部の例外除く)。私立中高一貫の授業が極めて優れているという前提で話をすすめると、そういった高度な学習を享受することがそもそもできないのである。したがって、いわゆる文科省の学習指導要綱に沿った授業をチンタラ受けさせられるわけであるが、これがまた成績上位層の伸びる芽を摘んでいるのではないかという指摘は昔からある。山を削って谷を埋めることになるのである。時にはいくら埋めても埋まらない谷もまた存在するにも関わらずである。

例えば英語についていえば、中一で現在形・中二で過去形・中三で過去分詞とか、こんな鈍牛のようなことをしている。極論すれば、半年で学習できるくらいの内容を3年に引き伸ばしているのである。受験業界では、公立は英語が弱く、公立高校に入ってからでは後れを取り戻せないという説がある。当たっていないことはないが、後半はウソで、実際にこの私が高校の一年間で一気に全国トップ層まで学力を伸ばすことができたという事例もある。しかし、田舎の子全員にといえばさすがに無理だ。そもそも田舎は空気感が違っていて、塾に行っている子でも(私は行ったことがないが)、せいぜいが中学の教科書の先取り学習で校内テスト上位狙いだったりするらしい。目標が低すぎるのだ。

そんな田舎の子供たちをしり目に都会の上位層は有名塾に通って大学受験(つまり東大)をターゲットに学習している。適うわけがないのだ。尤も、そもそもその過熱する受験業界でバーンアウトしてしまう子供も結構いるらしい。その子は田舎のほうが向いていたかもしれない。

一方、田舎では情報が不足しており(ネット用語で情弱という)、公立のカビの生えたような授業を受けさせられ、東大に行くといえば進路指導に「君には無理だ」などと言われる。結果、何とか一年遅れで東大に行けたとする。その彼は、東京に住んでいれば開成から東大に現役で行けたはずだ。一年の差は結構大きい。

たとえ話と想像上の話になってしまったが、
① 田舎で優秀な子が公立に行って伸び悩んでいる。
② 都会でそれほど優秀でないのに無理に私立に行ってついていけない。
①②のような子がいたとして、それぞれに学力予後・学歴予後が悪くなるのが問題だ。アンバランスなのである。かといって、①の子と②の子をチェンジするわけにはいかない。どうすればいいか、私の中での答えは簡単で、学習指導要領を改定して、もっとどんどん詰め込み教育を推進すべきだというのが案である。英語についていえば、現在中学の3年間でやっている内容は半分の1.5年でできるはずであるし、数学ももう少しカリキュラムを工夫してすべての高校で高3の夏休みまでには数Ⅲ(微積分)まで終わらせることは可能だ。そして、複素数平面と行列など、指導要領に入れたり外したりというのを止めるべき(なぜなら重要でない分野などないのだから)。理科社会も合計6科目はみっちり基礎教養としてやるべきであって、高校での文理分けもやめるべきである。そうはいっても、大学全入時代なので、すべての科目で公立でも高3の夏休みまでに授業は終了し、以後受験に向けた演習に時間を割けるようにすれば、公立でも学歴予後が悪くなることは避けられるだろうし、実際にそのようにしている学校もあると聞く。

しかし実現が厳しく、中学と高校の接続が悪いのがすべての諸悪の根源だと思う。公立だと、中学で超スローペースなのが、高校で急激にハイペースにならざるを得ず、そこでドロップアウトや消化不良を起こす子がいる。また、公立名門校に入れた満足感で急に勉強しなくなる子もいるのが問題だ。すべての学校を中高一貫にするか、そこまでしなくても中高一貫のカリキュラム並みにするべきだろう。思い切って633制を止めて534制にするのも考えてもいいかもしれない。国民の大多数が通っている公立中高の超スローペース授業による知識の空洞化を何としても改善することで、すべての受験生に真の意味で平等にチャンスがくるのではないか、そんな時代にしてほしい。

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