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ふるさと納税4年目に突入 [社会]

ふるさと納税に急に目覚めたのが3年前の今頃であった。そして4年目に突入した。

やり始めた当初は、とにかく「ふるさと」にだけ納税していた。どう考えてもふるさとではない自治体は避けていたのだ。当時は返礼品だけが目当ての節税対策というものに、今よりも後ろめたさを感じていたのかもしれない。

その後、ふるさとの定義はだんだんとゆるくなった。まずはふるさとの県に隣接する都道府県が新たなふるさとになった。知り合いの住んでいる町や、行ったことがあるだけの街、気になる自治体もいつの間にかふるさとになった。そのうちに、優れた返礼品を用意する自治体もふるさとになってしまった。

何せ、ふるさとから届く返礼品や書類に付属する礼状を読むと、ただの印刷されたコピペの文章であるのではあろうが、とても感謝している様子がかかれているのである。それを読んで、一度行ってみたいと思うのだが、実現する見込みはない。あくまでも心の中でのふるさとである。

そのように、色んな定義があるがふるさとから届いた全国各地の米・肉・カレー・りんごジュース・うなぎ・お菓子・アイス・ビールに舌鼓をうちながら思う。これは本当にふるさとの創生になっているのだろうかと。

ある自治体ではこのお金を使って図書館などの箱モノを作ったという。また、小学校のエアコン設置の助とした自治体もあるらしい。廃線になりそうな路線に投入されることもある。いずれも涙ぐましい努力ではあるが、果たしてそれらの施策をしたとしても、東京への人口流出が抑制できるだろうか?。住民の暮らしが向上する一助にはなるだろうが、この制度では過疎化は抑止できないのは明らかだ。実際に田舎に足を運んでみると、セミの声、のどかな光景が広がっている。子供の数はめっきり少なくなった。箱モノが増えたりしたくらいでは賑わいは戻らない。近代の都市化とはそういうものだからだ。

しかし、最初からあきらめたり悲観しても仕方がない。地域振興のカンフル剤にしかならないとしても、何もしないよりは何かが動いていることは確かだからだ。この制度がなければ、まさか長崎県のカレーが私の胃袋に入るはずはなかった。間違いなく動いているはずなのだ。動きが鈍いとしてもだ・・・。

だから、結局この制度が有意義かどうかという議論はもう考えなくてもいい。一つ言えることは、税制上とても有利だということ。そして、高額納税者に還元する制度はかつてなかったという点で極めて画期的であるということだ。大都市が損をするらしいが、そもそも大都市は人口が多いので税収が減ってもそれほど痛くはない(かゆい程度だろう)。うまくやる自治体もあるし、トホホな自治体もあろう。折角集めた寄付(地方税)も有意義に使われないこともあるだろう。個人のレベルではそこまで心配しなくてもよく、返礼品を楽しんで、日本地理に詳しくなるという意義があるのだ。数年後にはなくなる可能性もあるように思うので、今のうちに最大限楽しむのがいいかもしれない。
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